明治政府による新しい国づくり
大久保利通(おおくぼとしみち)
吉田松陰(しょういん)の教え子の1人。桂小五郎(かつらこごろう)と名乗っていたが、後に木戸孝允(きどたかよし)と名乗るようになる。1866年に西郷隆盛(さいごうたかもり)などと薩長(さっちょう)同盟(どうめい)を結ぶなど明治維新に大きな働きがあり、維新後は版籍(はんせき)奉還(ほうかん)や廃藩置県(はいはんちけん)などの改革を手がけた。
薩摩藩(さつまはん)の身分の低い武士に生まれた。幕府が倒れ、明治政府ができると中心人物として多くの改革を行った。欧米諸国から帰国後は、西郷隆盛(さいごうたかもり)らを退(しりぞ)け近代的な国づくりにつとめた。四民平等で特権を失った士族の反乱があいつぐと,大久保は武力でおさえつけたので、政府に不満をもつ士族らに殺された。
(写真提供: 国立国会図書館)
身長6尺(しゃく)(174p以上)の当時としては長身の大男でした。幕末には、命を狙われ続けたため、10種以上の別名を使用したそうです。
小さいころは泣(な)き虫だったり、字が下手(へた)で大人になってからも字を書きたがらなかったりしたそうです。
木戸孝允(きどたかよし)(桂小五郎(かつらこごろう))
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国会を早く開設すべきだと主張し、政府の中で対立した。その後、立憲改進党という政党をつくったり、2度の内閣総理大臣も務めた。
大久保は、漬物(つけもの)が大好きで、食事の時に何種類か並んでいないと機嫌(きげん)が悪かったといいます。
大隈重信(おおくましげのぶ)
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