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江戸時代を探る!
家康はどのようにして江戸幕府を開いたの?
徳川家康の幼いころの名前は、松平
成人後、今川氏支配下の武将として活躍していた家康だったが、
本能寺の変で信長が急死し、豊臣秀吉が実権を握ると、家康は一時秀吉と対立したが、やがて秀吉の支配を受け入れるとともに、豊臣政権内に自らの地位を築いた。
秀吉の死後は、関ヶ原の戦いに勝利し、ようやく天下の実権を握った。このとき、家康はすでに58歳だった。
江戸幕府を開いた後も、大坂の陣で豊臣家を滅ぼすなど、戦争の
家康の天下統一までの歴史を、年表にまとめてみたよ。年表中の人名をクリックすると、その人たちの解説が出るよ。
1542年 三河の岡崎城(現:愛知県岡崎市)で生まれる 幼名は松平竹千代
1547年 今川氏の人質として駿府(現:静岡県静岡市)へ送られる途中、織田氏にとらえられ人質となる
1549年 織田氏と今川氏の人質交換で、駿府へ
1557年 松平元康と改名 今川義元支配下の武将として活動
1560年 桶狭間の戦いで今川義元が討たれる 松平元康(家康)は岡崎城にもどり、今川氏から自立
1566年ごろ 三河(現:愛知県東部)を平定 このころ徳川家康と改姓したといわれる
1570年 浜松城へ移る 姉川の戦いで活躍
1572年 三方原の戦いで、武田信玄に敗れる
1573年 武田信玄死去
1575年 長篠の戦いにて、武田勝頼の軍に勝利
1582年 武田勝頼を滅ぼす 信長から駿河国(現:静岡県)を与えられる北条氏と和議を結び、甲斐(現:山梨県)・信濃(現:長野県)を支配
1584年 小牧・長久手の戦いで羽柴(豊臣)秀吉と対決 この後、秀吉の天下支配を認める
1586年 駿府城へ移る
1598年 秀吉死去
1600年 関ヶ原の戦いにて石田三成に勝利
1603年 征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開く
1605年 子の秀忠に将軍職をゆずる
1614年 大坂冬の陣
1615年 大坂夏の陣で豊臣秀頼を滅ぼす
1616年 駿府にて死去
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