そうだね、大雨で大井川の水かさが増すと、「川止め」と言って川を渡ることが禁止される。川止めは場合によっては何日にもおよぶことがあって、その間は、金谷や島田の宿場で待たなくてはならない。宿泊費も余分にかかるから、旅人の経済的な負担は重かったようだ。
 当時の人々は「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川(箱根の山は馬で越えることができるが、増水した大井川はなかなかわたることができない)」とうたったと言われるよ。右下の図は表題が「頼朝」になっているけれど、14代将軍家茂(いえもち)の行列を浮世絵師が実際に見て製作したと言われているもので、渡るときの様子がよく分かるでしょ。

 そういえば、静岡県の大井川にも、江戸時代には橋がなくて、旅人は川越人足(かわごえにんそく)に運んでもらったという話を聞いたことがあるよ。

  いいことに気がついたね。もう一度江戸の周りに気をつけて地図を見てごらん。関所がたくさんあるね。ここで取り()まりをしたんだ。また、大きな川には、あえて橋をかけなかったのも、江戸を守るためだったんだよ。

江戸時代を探る!

幕府はどうして交通網を整備したの?

>>関所について

でも、道路が整備されたら、逆に江戸が攻められやすくならないかな?

>>今でも残る東海道の松並木

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江戸幕府が265年間も続いた
 のはなぜだろう
 
江戸時代を探るキーワード
  有力者を滅ぼす 
  幕府の仕組みの工夫 
  大名の統制 
  身分制度の確立 
  貿易の統制と独占 
  幕府の豊かな財源
  交通網の整備 
  広大な直轄領 
  キリスト教対策 

 下の地図は、江戸幕府が整備した5つの大きな道(五街道)を示した地図だ。この他にも、多くの道路を整備した。交通網が整備されることで、人が移動するのに便利になるし、物も運びやすくなるね。そうすれば、経済も活性化するだろう。

交通網の整備

東海道五十三次 嶋田 歌川(安藤)広重
 (画像提供:島田市博物館)

頼朝公大井川行列図 歌川芳艶
(画像提供:島田市博物館)