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蝶のお話 〜富士山に住む蝶たち〜

 

富士山は蝶の宝庫

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1 静岡県の蝶の宝庫 ―富士山―

 日本では、これまで約270種類の蝶が記録されています。 静岡県は豊かな自然に恵まれており、その半数以上の約140種が記録されています。 小型のシジミチョウから大型のアゲハチョウまで、実に様々な美しい蝶が見られます。 特に富士山とその周辺は、数も種類も多く見られる格好のフィールドです。 どんな蝶が年間を通じて見られるかを別表(蝶)にまとめてみました。

 富士山は、山としての美しさだけでなく、そこに生息する動植物の多様性でも有名です。 たとえば「富士」をその名に付した植物は、フジアザミ、フジイバラ、フジオトギリ、フジハタザオなどたくさんあります。 実は、蝶の中にもフジの名の付いた大変美しいシジミチョウがいます。 その名も「フジミドリシジミ」、今から百年前に富士山中腹ではじめて発見された日本特産の蝶として知られています。 富士山とその周辺は、広大な草原あり、疎林あり、森林ありの多様な植生に恵まれています。このことが、県内、ここでしか見ることができない種の生息につながっていて、草原性の蝶から樹林性の蝶まで、様々な種類の蝶が 見られます。 富士山は、まさに「静岡県の蝶の宝庫」と言えるでしょう。

2 富士山には高山蝶がいない?

 ところで、富士山の蝶の分布については意外な事実があります。 それは、富士山には高山蝶が一種も生息していないということです。 高山には、特有の植物である高山植物があるように、特有の蝶である高山蝶が住んでいます。 高山蝶の定義は、おおむね1500メートル以上の「高山でしか発生しない蝶」と考えてよいでしょう。 日本には14種類の高山蝶がいますが、北海道特産の5種を除くと、本州に産するものは9種類 (タカネヒカゲ、ベニヒカゲ、クモマベニヒカゲ、ミヤマモンキチョウ、ミヤマシロチョウ、オオイチモンジ、コヒオドシ、 クモマツマキチョウ、タカネキマダラセセリ)です。 タカネとかクモマとかミヤマとか、いかにも高いところに住んでいそうな名前ですね。 これらの高山蝶は、北アルプスや八ヶ岳・南アルプスなどの中部山岳地帯のほか、東北地方の高山帯などに生息しています。

  しかし、3776メートルの標高を誇る日本一高い山である富士山に、これら高山蝶が一種類もいないというのはとても不思議ですね。 二千メートル〜三千メートル級の中部山岳地帯の山には、すべて何らかの種類の高山蝶が住んでいるのに、富士山にはいないのはなぜでしょう。
  その理由は、富士山の歴史が比較的新しく、氷河期に低地に生息していた高山蝶たちが、気温の上昇に伴い高地に上がっていったころは、まだ※@富士山がなかったからなのです。 その後も一部の山地性の蝶(キベリタテハ、クジャクチョウなど)は南アルプスの山を下り富士山に移り住みましたが、 高山蝶は富士山に移り住むことはできなかったと考えられています。
※@古富士火山の火山活動が、約1万年前から再び活発になり、新富士火山を作り、現在の富士山(3,776m)となったといわれる。

3 富士山でバタフライウォッチング

  日本の最高峰である富士山に高山蝶がいないのは、ちょっと残念でしたね。 でも、その代わりに富士山には、森や林だけでなく草原に住む蝶も多く生息しています。 種類だけでなく、その数も多いので※Aバタフライウォッチングには絶好の場所です。 また、富士山は、成層火山として広く美しい裾野を持っています。 そのため周辺のどの位置に立っても雄大で美しい姿を眺められるので、バタフライウォッチングの楽しみがいっそう広がります。 標高の割に平均気温の高い静岡県側の南麓から、800m程度の標高ですが比較的平均気温の低い山梨県側の北麓にかけて、 数多くのフィールドがあります。    今回は、南麓から北麓東端の本栖湖周辺にかけてどんな蝶が見られるか紹介します。
※A日本ではバードウォッチングほど一般的ではないが、欧米では双眼鏡をフィールドに持ち歩き蝶を観察するホビーがある。 地図・デジタルカメラ・種を確認するために捕虫網・ルーペ・ポケット図鑑なども携行する。

4 富士山に生息する蝶と7つの科

  蝶には大きく分類すると次の※B7つの科があります。 その特徴と富士山に生息する種類をあげてみましょう。
(1)アゲハチョウ科
  つつじやゆりの花などによくやってくる黄色や黒の大きな蝶です。アゲハやクロアゲハ、カラスアゲハ、アオスジアゲハ、キアゲハなど、皆さんの身近にもいる大きくてきれいな揚羽蝶(あげはちょう)です。小学校3年で学習するアゲハは、一番数が多いのでナミアゲハと呼ばれます。 1年に3〜4回ぐらい発生し、春に出る少し小型のものを春型、夏から秋に出る大型のものを夏型と呼びます。皆さんも一度は捕まえたことがあるでしょう。
  富士山には、これらの普通種に加えて、最も美しい蝶と言われるミヤマカラスアゲハやスマートな山の蝶であるオナガアゲハ、 年1回のみ発生する清楚な蝶、ウスバシロチョウが生息しています。また、南国の蝶であるジャコウアゲハやナガサキアゲハも時々見ることができます。
(2)タテハチョウ科
  中型で滑空するようにすばやく飛ぶ、力強さを感じる蝶です。 羽の裏面は目立たない色をしていますが、表面は目にも色鮮やかな美しい蝶が多いタテハチョウ科。 秋になると咲き誇るコスモスやニラの花などに来るキタテハ、アカタテハ、ヒメアカタテハに代表されます。
   富士山の標高1000メートルを越える場所には、山地性の※Bキベリタテハ、クジャクチョウ、シータテハなどが生息しています。 平地で見かけるキタテハ、アカタテハ、ヒメアカタテハ、ルリタテハ、コムラサキ、ゴマダラチョウも全域で見られます。富士宮には国蝶オオムラサキも少ないながら生息しています。 また、広い草原には各種ヒョウモンチョウ類が多産します。 本栖高原周辺では、ヒョウモンチョウ、オオウラギンスジヒョウモン、ウラギンスジヒョウモン、メスグロヒョウモン、 ウラギンヒョウモン、ギンボシヒョウモン、ミドリヒョウモンなどが多く、アザミなどの花に来ています。 もちろん温暖化のため北上しているといわれる都市部で目立つツマグロヒョウモンも見られます。
   この他イチモンジチョウ、アサマイチモンジ、ホシミスジ、コミスジ、サカハチチョウ、オオミスジ、ミスジチョウ、スミナガシなども 生息しています。山梨県側では、山地性のフタスジチョウも見られます。
※Bこれらの山地性のタテハチョウは南アルプスに生息していたものが、新生富士山ができた後、移入してきたものと考えらている。 いずれも英国で見られる種で、Mourning cloak, Question mark, Peacockという素敵な英名が付けられている。ヨーロッパからロシアそして日本にかけての地域は旧北区と呼ばれ分布する蝶に共通性が見られますが、日本にはイギリスの3倍以上の種類の蝶が住んでいます。

(3)ジャノメチョウ科
  中型で地味ながら蛇の目のような紋のある蝶です。 地味な蝶ではありますが、よく見ると眼状紋がとても美しい蝶です。 日陰に生息するものが多く、樹林性の蝶の代表といえるでしょう。 富士山には、クロヒカゲ、ヒカゲチョウ、ヤマキマダラヒカゲ、サトキマダラヒカゲ、コジャノメ、ヒメジャノメなどの樹林性の普通種やジャノメチョウ、ヒメウラナミジャノメなどの草原性の普通種が大変多く見られます。また、少ないながらもクロヒカゲモドキ、キマダラモドキなど 珍しい種類も産します。この2種は特に山梨県側の北麓で見られます。 この他、山地性のヒメキマダラヒカゲも多産します。
(4)マダラチョウ科
  幼虫時代、有毒植物を食べて育つまだら模様の大型の蝶です。富士山麓一帯では、アサギマダラ一種のみが見られます。 皆さんも秋の山にハイキングに行くとこの大型の美しい蝶がゆっくり林道に姿を現すのを見たことがあるかもしれませんね。※Cアサギマダラは、秋に南へ渡りをする蝶として知られていますが、富士山麓では真夏でも普通に見られます。
※Cこの蝶の渡りを調べるために採集してその羽に油性のマジックで採集地、日時、採集者を記入し再び放すマーキングという活動がインターネットを活用して行われています。アメリカとメキシコを渡りするオオカバマダラ(Monarch)は3000キロも渡りをすると言われています。

(5)シロチョウ科
  中型で白や黄色のひらひらと飛ぶ蝶です。 皆さんの周りでいつも飛んでいるモンシロチョウ、キチョウ、モンキチョウ、スジグロシロチョウは富士山麓のいたるところで見られます。 春にはモンシロチョウより一回り小さい前翅の少しとがったツマキチョウも見られます。これらのシロチョウ科の蝶は意識して見ないとなかなか区別がつきません。この違いがわかるようになるとバタフライウォッチャーの第一歩を踏み出したといえるでしょう。富士山には、ヤマキチョウ、ヒメシロチョウといった珍しい種類も少ないながらも生息しています。
(6)シジミチョウ科
  小型で道端の小さな草花などで見られる蝶です。皆さんの身の回りには、カタバミの近くにいつも飛んでいるヤマトシジミやヒメジョオンの花にとまっているベニシジミ、ツバメシジミ などがいます。 富士山麓では、静岡県ではここしか見られない種も多く、特に草原性の珍しいものでは、クロシジミ、アサマシジミ、ヒメシジミ、 ミヤマシジミが富士山麓のところどころに局地的に分布しています。 特にクロシジミは、※D幼虫時代にクロオオアリに育てられるという変わった生態の蝶ですが、本県で確実に見られるのは富士宮だけです。
  草花よりも高い木の上を舞うシジミチョウもいて、これらを樹林性のシジミチョウと呼びます。 樹林性のものでは、アカシジミ、メスアカミドリシジミ、ミズイロオナガシジミ、ウラゴマダラシジミなどが生息しています。 ブナを食草とする富士の名のついたフジミドリシジミも少ないながらも見られます。 また、草原の中に疎林を形成しているクロツバラには、ミヤマカラスシジミが、カシワにはハヤシミドリシジミが住んでいます。 アラカシやシラカシにつく、ムラサキシジミも多く見られます。ササ類の生い茂る林床にはゴイシシジミも見られます。ゴイシシジミの幼虫は変わっていてササにつくアブラムシを食べて成長します。
※Dこのほか蟻の世話になるのは、ゴマシジミ、ミヤマシジミ、キマダラルリツバメなどがいます。面白いことに、いずれもシジミチョウです。 なお、クロシジミの生態を最初に突き止めたのは当時の高校生でした。蟻が口移しで幼虫にエサを与えるなんて当時は思いもよらないことでした。

(7)セセリチョウ科
  小型で一見すると蛾のように胴体が太く茶色い蝶です。 夏も終わりごろになると皆さんの家の庭にも小さな茶色い活発な蛾のようなこの蝶が飛んでくるでしょう。 子どものころチビドリと呼んでこれを餌にトンボ釣りをしたことがあるお父さんもいるかもしれません。 このセセリは、イチモンジセセリといいます。 その幼虫は、イネツトムシと呼ばれる稲の害虫です。 セセリチョウは、英語ではskipperと呼ばれbutterflyと一線を画しています。
  小型のセセリチョウの中でもひときわ小さいのが、チャマダラセセリとホシチャバネセセリです。 この2種は、ともに絶滅危惧種であり、県下でも富士山麓しか見ることができません。 その他ヒメキマダラセセリ、コキマダラセセリ、ホソバセセリ、アオバセセリ、スジグロチャバネセセリ、ギンイチモンジセセリ、 ミヤマチャバネセセリ、オオチャバネセセリなど普段あまり見られないセセリチョウが生息しています。   もちろん、イチモンジセセリやチャバネセセリ、キマダラセセリ、コチャバネセセリなど平地でも良く見かけるセセリチョウも 生息しています。

注:(3)ジャノメチョウ科と(4)マダラチョウ科は広義のタテハチョウ科として分類されている。 形態的に特徴があるのでここでは7つの分類としました。

5 植物と蝶の関係(幼虫時代の食餌植物)

  富士山やその周辺に様々な蝶がいるのは、その環境が蝶の生息に適しているからです。 蝶は、成虫の時代は主として花の蜜を食物としていますが、樹液や獣糞、腐果などを好むものもいます。 ※E幼虫時代は、特定の植物を食べて成長することが多く、これらの植物のことを食餌植物(食草・食樹)といいます。 つまり、植生が豊かであればあるほど、いろいろな蝶が生息することになります。
   富士山周辺の食餌植物と蝶の関係は、別表(食草)のとおりです。ここでは、食餌植物と蝶の関係をまとめて見ましょう。
  モンシロチョウがキャベツをはじめとするアブラナ科の植物で育ち、アゲハが栽培ミカンなどのミカン科の植物で育つことは、 小学校3年で習いましたね。 実は、それぞれの種の幼虫が食べる植物は大体決まっていて、この性質が蝶の分布に大きな影響を与えています。先に述べた7つの科ごとに、ある程度食餌植物が定まる傾向があるので、ここで少し詳しく説明しましょう。
   ミカン科の植物に付くのは、アゲハチョウ科の蝶たちです。 アゲハ、クロアゲハ、カラスアゲハ、モンキアゲハなどがいます。 富士山麓には、野生のミカン科の植物であるカラスザンショウ、キハダ、ミヤマシキミ、コクサギなども生えており、主としてキハダをミヤマカラスアゲハ、コクサギをオナガアゲハ、ミヤマシキミをクロアゲハ、カラスザンショウを モンキアゲハやカラスアゲハが利用しています。
  その他のアゲハチョウ科の蝶は別の科の植物を利用しています。 アオスジアゲハはクスノキ科、キアゲハはセリ科のニンジン・シシウド・アシタバ、ジャコウアゲハはカンアオイ科の ウマノスズクサ、ウスバシロチョウはケシ科のムラサキケマン・エンゴサクを食べるといったように、多様性があります。
   マメ科の植物では、コマツナギをミヤマシジミ、ツバメシジミが利用します。 ネムノキ、ニセアカシアにはキチョウが付きます。カワラケツメイだけを利用するのはツマグロキチョウです。 このほかクローバーをモンキチョウやツバメシジミが利用します。 クララは、ルリシジミが利用します。 ヤマフジはウラギンシジミ、トラフシジミ、ルリシジミ、コミスジなど多くの蝶に利用されます。 クズもマメ科の植物でフジと同様の蝶たちに利用されます。
   ニレ科の植物では、エノキが多くの蝶の幼虫を育てます。 オオムラサキ、ゴマダラチョウ、ヒオドシチョウ、テングチョウ、コミスジ、シータテハなどが利用します。 ヤナギを食べるコムラサキ、シモツケを食べるホシミスジ、スイカズラを食べるアサマイチモンジやイチモンジチョウ、 スミレ全般を食べる大型ヒョウモンチョウ類など、タテハチョウ科の蝶の食性は多様性に富んでいます。 変わったところではアワブキやミヤマハハソを食べるスミナガシがいます。 セセリチョウ科のアオバセセリもアワブキやミヤマハハソを食べます。 形態や性質が大きく異なる2種類の蝶が、食樹を共有していることはとても不思議ですね。
  ジャノメチョウ科とセセリチョウ科の多くは単子葉類のススキなどを食べます。 ヤマキマダラヒカゲ、ヒメキマダラヒカゲ、ヒカゲチョウ、クロヒカゲはススキやクマザサなどを主に食べています。
  ナラ科では、クヌギやコナラ、ミズナラ、ナラガシワが多く利用されます。 これらを食べるのは、ミズイロオナガシジミ、アカシジミ、ジョウザンミドリシジミなど様々です。
  カバノキ科のハンノキやミヤマハンノキはミドリシジミが食べます。その他かカシワを利用するハヤシミドリシジミ、クルミを利用するオナガシジミ、ブナを利用するフジミドリシジミなどがあげられます。
   このほか先に述べた蟻に育てられるクロシジミ・キマダラルリツバメや蟻の巣の中で幼虫や卵を食べて成長するゴマシジミ、オオゴマシジミ、 それからアリマキを食べるゴイシシジミやムモンアカシジミのような変わった生態を持つシジミチョウがいます。 これらの蝶は珍しいものが多く、富士山麓でも見られるものはゴマシジミとゴイシシジミに限られます。
  食餌植物が大体わかってくると山や草原を歩いていてもどんな蝶が出てくるか予想が付くようになります。 また、逆にある蝶がいればそのあたりにはどんな植物があるかもわかるようになります。 自然を見る眼が、ここはどんな蝶の生活に適するのかといった蝶の眼になるといってよいかもしれません。 さらに一歩進めてどんな蝶を保護するためにどんな植物を育てることが必要かということを考えるようになるでしょう。
※Eこのような性質を狭食性といいます。蝶の幼虫の多くは狭食性です。 この性質により棲み分けがなされていると考えられています。 これに対し、蛾の幼虫の多くは様々な種類の植物に付く広食性です。 一例としてイラガの幼虫は、数十種類の植物を食べます。