佐賀県で発見された、濠に囲まれた大規模な集落遺跡。縄文時代以降、人々は社会集団としての「むら」をつくったが、弥生時代に入り、人々が蓄えをもつと、土地や水の利用を巡り、むら同士の争いが起きた。戦いに勝ったたむらは敗れたむらを従え、指導者が生まれ「くに(国)」ができたと考えられている。古代中国の「漢書」地理志には古代の日本は100余りの「くに」があったと記述がある。吉野ヶ里遺跡は、この地域に分立した国々の中心となる集落だと考えられている。遺跡に濠や高い物見やぐらが見られることから、「くに」同士が争っていたと考えられている。 |