変わる浜松市のオートバイ産業
 平成18年、ホンダは2輪車用エンジンの生産工場を、浜松から熊本へ移すことを発表しました。浜松で60年間続いたホンダの二輪車生産の歴史は終わりました。また、他メーカーも、海外でオートバイを多く生産するようになり、浜松市のオートバイ生産の様子は変わりつつあります。
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静岡県の工業

  オートバイ産業の中心

  オートバイの父、本田宗一郎氏
 浜松市の輸送機械産業の特徴(とくちょう)として、オートバイの生産があります。国内オートバイ・メーカー4社のうち、スズキ・ヤマハの工場が、浜松市周辺の遠州地域に集中しています。
  すそ野の広がる輸送機械
 オートバイから始まった浜松市の輸送機械産業ですが、その技術(ぎじゅつ)小型(こがた)船の船外機や水上バイクなど、さまざまな分野に広がっています。

 

 国産オートバイ産業の歴史は、浜松が生んだ天才発明家・本田宗一郎(ほんだ そういちろう)氏から始まると言って良いでしょう。(かれ)は、第二次世界大戦後まもなく、軍隊で使われていた飛行機用エンジンを改造(かんぞう)して、自転車につけて車輪を回転させることを考えました。これが「世界のホンダ」のスタートとなり、やがてスズキやヤマハもオートバイの生産を始めました。

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浜松市のオートバイ産業       
 

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工業の盛んな浜松市
 L 浜松市のオートバイ産業
 L 浜松市の楽器産業
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