鎌倉時代
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元の襲来に備えてつくられた石の塀
福岡湾沿いの各地に今も残っている 
蒙古襲来絵巻 下巻 1293年
元寇防塁跡(福岡県西区今津)
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   北条時宗(ときむね)
  解説
  チンギス・ハンが建国したモンゴル帝国はその勢力を拡大し、フビライ・ハンの時代には国名を元と改めた。フビライは日本にも属国になることを要求したが、八代執権北条時宗(ときむね)はこれを拒否した。そのため元軍が1274年に博多に来襲(らいしゅう)した。「てつはう(てっぽう)」や集団戦法に対して日本は劣勢を強いられるが、暴風雨に助けられ元軍は退(しりぞ)いた(文永の役)。1281年に再度来襲したが、再び暴風により元軍は再び退(しりぞ)いた(弘安の役)。元寇ののち、幕府は御家人に充分な恩賞(おんしょう)を与えられなかったため、幕府の力が弱まる原因の一つとなった。  
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