鎌倉時代
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7
承久
(
じょうきゅう
)
の乱
解説
2代将軍
頼家
(
よりいえ
)
の子、
公暁
(
くぎょう
)
によって3代将軍
実朝
(
さねとも
)
が暗殺されると、1221年
後鳥羽
(
ごとば
)
上皇は朝廷の勢力を回復するため、北条
義時
(
よしとき
)
追討の命令を出し、承久の乱が起こった。しかし、鎌倉方は、
北条
政子
(
まさこ
)
のうったえなどにより結束を固め、戦いに勝利した。上皇は
隠岐
(
おき
)
に流され、また、京都には朝廷、西国武士の監視をするために
六波羅探題
(
ろくはらたんだい
)
が置かれることになった。
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