この時代に、土地は「一所懸命」と命をかけて、守ろうとしていた。 頼朝は、御家人の土地を守ったり、手柄によって新しい領地をあたえたりしたんだ。これが、御恩。 その代わりに、御家人は、戦いの時には、「いざ鎌倉」と家来をひきつれてかけつけ、幕府のために命がけで戦ったんだ。これが奉公なんだ。
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源頼朝と鎌倉幕府のはじまり

みなもとのよりとも

じゃあ、幕府のしくみは、どうなっていたの?
有力な御家人は、守護や地頭という役人に任命されたんだ。
土地を仲立ちとして、御恩と奉公の関係で結ばれていたんだ。
鎌倉には、侍所、政所、問注所という役所がおかれた。頼朝が開いたこれらの役所を鎌倉幕府というんだ。こうして、武家社会のしくみが整い、公家に代わって、武士が中心となって世の中を動かすようになっていったんだよ。

六波羅探題(ろくはらたんだい)

地頭

守護

問注所

政所

侍所

土地を仲立ちとして、御恩に対して奉公で報いる、将軍と御家人の関係を封建制度というんだよ。

鎌倉幕府を開く(2)

将軍と御家人は、どのような関係で結ばれていたの?
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頼朝と主従関係にある武士を御家人と言うんだね。