今川仮名目録
 今川氏親(うじちか)が定め、義元が追加した分国法。東日本では、最も古く、他の分国法にも大きな影響を与えました

一.代々持ち伝えた田畑を、地頭がみだりに没収することを
  禁止する。ただし、年貢などをおさめられない場合はやむ
  をえない。(略)
一.けんか(私闘)をした場合、理由のいかんに問わず、共に
  死罪とする(略)
一.他国より嫁を取ったり、むこを取ったり、他国へ娘を(よめ)
  出すことは禁止する

答えは……今川義元(よしもと) です

静岡県の歴史上の人物

あすなろ学習室Top

しゃかいのページTop

 家康以前の戦国時代、静岡を支配したのは、今川氏でした。 中でも、今川義元は、静岡県と愛知県西部(駿河・遠江・三河)の広い地域を支配し、その勢力は当時日本一でした。
 義元が三河へ進攻した時、岡崎城主の松平家長男の竹千代(たけちよ)(後の家康)が、人質となりました。家康は、以来12年間、駿府で生活しました。
 1560年、義元は勢力をさらに拡大しようとして、京都を目指している途中、桶狭間(おけはざま)(愛知県)で織田信長の襲撃にあい、亡くなりました。

今川義元像(画像提供:臨済寺)

写真・図版等の二次使用はおやめください。