静岡県の歴史上の人物

答えは……ぺリー です

日本の奉行から贈り物をもらっているペリーを描いたかわら版

日本人の描いたペリー

ペリーの肖像

 

1854年3月、江戸幕府は、アメリカ合衆国との間に「日米和親条約」を結びました。
 幕府は、鎖国政策をやめ、開国への一歩を踏み出すことになりました。
【ペリーの一生】
1794年 アメリカ合衆国に生まれる。
1852年 東インド艦隊司令長官となる。
日本との国交を開くために、11月に4隻の軍艦をひきいてアメリカを出発する
1853年 6月に浦賀(神奈川県)につく。
大統領の国書を幕府にわたし、開国を要求する。
1854年 1月に軍艦7隻をひきいて再来日、江戸湾に入る。
3月、神奈川で日米和親条約を結ぶ。
5月、下田で日米和親条約の細かな内容を決めた「下田条約」を結ぶ。
1858年 アメリカで亡くなる。
日米和親条約(全12か条)

第2条 (開港)
 日本政府は、アメリカ船(貿易船や捕鯨船)が(まき)・水・食料・石炭などの不足する品物を買い備える目的に限って、伊豆の下田と松前(北海道)の函館(はこだて)の港に来港することを許す。

第9条(最恵国待遇(さいけいこくたいぐう)
 日本政府が外国人に対して、現在アメリカ人に許していないことを許すときには、ただちにアメリカに対しても同じように許すようにする
  

(画像提供:3点とも了仙寺)

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