山内一豊は、幼いころに尾張織田家の内紛に巻き込まれ父を失い、一族離散の苦労を味わいます。
元服後は、各地で仕えた後、織田信長の家来となり、ついで豊臣秀吉に仕えるようになります。
各地で戦功を挙げ、長浜城主(2万石)となり、さらに、掛川(5万石)の城主へと出世します。当時、掛川は寂れた土地でしたが、一豊が城下町を整備し、産業を興しました。
その後、秀吉亡き後は家康に味方し、関ヶ原の戦いでは、当時としては高齢の55歳でありながらよく戦い、その功績を認められて、家康から土佐20万石を与えられました。
妻、
千代の「
内助の
功」の話は有名です。