静岡県の地形  

三方原台地

扇状地が隆起してできた三方原台地

静岡県西部に広がる洪積台地(こうせきだいち)です。東西10km、南北15km、標高は25〜110mほどあります。大昔に、天竜川の扇状地(せんじょうち)が隆起(りゅうき:地かくの変動などで、地面がもりあがること)したものといわれます。

三方原の戦い

1572(元亀3)年、武田信玄と徳川家康は、三方原台地の上で戦いました。戦いは、信玄の勝利に終わり、負けた家康は、命からがら浜松城に逃げもどってきました。これが三方原の戦いです。

江戸時代は荒れ地だった三方原台地

水の便が悪く、土地もやせていた三方原台地は農業に適さず、江戸時代までは荒地が広がっていました。しかし、明治時代から茶の栽培が盛んになり、第二次世界大戦の後、広く開拓が行われ、畑地や果樹園が開かれました。

用語解説

洪積台地(こうせきだいち)

今から1万年以上前に平野だったところが、長い間をかけて、河川の流れによってけずられて、残った部分が台地になりました。これを洪積台地といいます。「洪積」とは、約164万年〜約1万年前の時代を示す「洪積世(現在は更新世(こうしんせい)と呼びます)」という地質の年代を示す言葉から来ています。水の便が悪く、長い間農地としての利用は限られていました。

扇状地(せんじょうち)

山間部から流れ出た河川が、次第に土砂をたい積させて、扇(おうぎ)の形をしたなだらかな斜面をつくることがあります。これを扇状地とよびます。扇状地は、甲府盆地や山形盆地などの山すそに多く見られますが、静岡県内では大井川や天竜川の下流域が巨大な扇状地となっています。