静岡学問所跡
区分:指定なし 所在地:静岡県静岡市葵区
明治の初め、幕府の秀才が学んだ学校跡
静岡学問所は、駿府に移ってきた徳川家により、人材養成を目的として現静岡地方法務合同庁舎付近に1868(明治元)年「府中学問所」として創設されました。翌明治2年「静岡学問所」となり、明治5年八月学制の施行とともに閉鎖されました。この学問所には、向学心に燃える者は身分を問わず入学が許可され、向山黄村、津田真一郎(真道)中村正直(敬宇)外山捨八(正一)乙骨太郎一、堀越五郎乙など当代一流の学者により国学・和漢学とともにイギリス・フランス・オランダ・ドイツの洋学も教授されました。またアメリカ人教授E.W.クラークは、専門の理化学のほか哲学や法学なども教えました。廃校後、洋学系の 教授の多くが明治政府に登用され、開成学校(現東京大学の母体)の教授など学界や官界で活躍をしました。静岡学問所の歴史は短期間でしたが、日本の近代教育の先駆けをなし明治初期の中等・高等教育の最高水準の学府でありました。 (現地説明板 参考)
静岡学問所跡之碑
当時の様子を伝えるイラスト
クラークと学生たち
クラーク
研究室のクラーク
アメリカン人のエドワード・ウォレン・クラークがこの静岡にて、将来を担う少年たちに教育を施していました。クラークの専門は理化学でしたが、哲学や法学なども教えました。北海道大学の「少年よ大志を抱け」で有名なウィリアム・スミス・クラークとは別の方ですが、エドワード・ウォレン・クラークのことを「もう一人のクラーク」と呼ぶことがあります。
静岡学問所跡は、現在は残念ながら石碑しか残っていませんが、江戸からやってきた秀才たちが夢を描いて勉学にはげんでいた姿を想像してみましょう。
現地への行き方
- 交 通
- JR静岡駅下車 徒歩10分
石碑は、静岡法務局の裏にあります。