梶原山
区分:指定なし 所在地:静岡県静岡市清水区
鎌倉幕府の重臣、梶原景時の最期の地
伊豆国で挙兵した源頼朝は石橋山で平家側に敗れ、山中にかくれました。平家方梶原景時は頼朝主従を見付けましたが、これを見逃しました。頼朝が成功し鎌倉幕府が作られていくと景時は頼朝に重用されました。しかし、頼朝没後、頼朝の有力家臣の中で権力争いが起き、諸将の排斥(はいせき:追い出されるの意味)を受け、鎌倉を逃げだしたのでした。
1200(正冶2)年の正月のことでした。梶原景時はじめ一族郎党三十三人が興津(おきつ)を過ぎ駿河国清見ケ関(狐ヶ崎)あたりで、鎌倉の命を受けたこの地方の武士(入江一族)庵原小次郎、三沢小次郎等に発見されて合戦となりました。
梶原景時、長男景季、次男景高その他三十三人は全滅しました。このとき梶原父子三人は家来の長尾忠光の介錯(かいしゃく)で切腹しました。北街道に添う梶原山が最後の地で梶原山の山頂には梶原親子を供養した塚があり、地元では梶原塚と呼ばれています。梶原堂(清水区大内)に今も供養塔がありますが、ここは、この三十三人の首をさらしたところです。「びん水」という泉は、梶原親子が自害する前に乱れた鬢(びん)を洗って直したという泉です。
61歳でこの世を去る梶原景時は「もののふの 覚悟もかかる 時にこそ こころの知らぬ 名のみ惜しけれ」という辞世の句を残していきます。
(現地説明板 参考)
梶原山(山頂にある石碑と供養塔)
清水区大内にある供養塔
「びん水」
梶原山は、景色がすばらしいよ。梶原山を訪ねてみませんか。
現地への行き方
- 交 通
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新静岡12番・JR静岡駅前2番線から
竜爪山線瀬名新田行 25分
瀬名リンク西奈下車