沼津城跡(三枚橋城)
沼津にお城があったって本当?
三枚橋城(戦国時代)
三枚橋城は現在の沼津の駅南部にあり、本丸を二の丸、三の丸、外郭(がいかく)が狩野川(かのがわ)に面した東南部を除いて同心円上に囲む構造になっていた。同城の築城時期については天正5年(1577)に武田勝頼が築城したという説と、信玄生存中の元亀元年(1570)には既に築城されていたという説があり、現在では後者が有力で、同城の城主としては高坂源五郎が名高い。
沼津城(江戸時代)
沼津城は以前の三枚橋城を利用して築城されている。城の南北は現在の野村證券の通りから静岡銀行沼津支店あたりで、大手門はうなぎの浜作本店あたりに造られ、本丸は中央公園あたりにあった。かつて三枚橋城の城内であった上土町や川廓町には、新たに往還道(おうかんどう)がつくられた。ただ、三枚橋城と比べ規模は小さい。明治になって城は沼津兵学校の校舎に使用されたが、間もなく廃校となり、明治5年(1872)に城は県で競売に付し解体され、同22年(1889)、東海道線開通に伴い、南北に縦貫道路が設けられた。その後、沼津は2回の大火に遭遇し、城の堀は埋められ、その面影を偲ぶことはできなくなった。
( 沼津市ホームページ 参考 )
沼津城復元模型(沼津市埋蔵文化財センター)
沼津城の石垣を復元したモニュメント
中央公園にある石碑
沼津城の井戸(和菓子店「ほさか」)
沼津城の門(光長寺辻之坊)
沼津城のかわら(明治記念館)
明治の初めごろ、鉄道や都市を造るときにお城の石垣や建物は取り壊されてしまったんだ。でも、沼津市内を、よく探すとお城があった跡が見つかるよ。また、沼津市明治記念館や沼津市埋蔵文化財センターには、沼津城のかわらや復元の地図などがあり、当時の様子がわかるよ。また、発掘の報告書などを読むと意外な発見があるよ。歴史は、足でかせぐのだ!
現地への行き方
- 交 通
- JR沼津駅すぐ
- 所在地
- 沼津駅南側中心市街地一帯