蛭ヶ小島(ひるがこじま)
源頼朝配流の伝承地を訪ねてみませんか。
平治の乱に敗れた源頼朝は、平清盛に継母(ままはは)・池禅尼(いけのぜんに)の命乞い(いのちごい)によって伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)に配流(はいる)されました。1160(永暦元)年2月の14歳の少年期から、1180(治承4)年8月に旗挙げする34歳までの20年間をこの地で過ごしたとされています。流人とはいえ、その監視は比較的ゆるやかであったと思われ、伊東祐親の娘・八重姫との恋、北条政子との結婚のほか、箱根・伊豆山・三島の三社詣(さんじゃもうで)、天城山での巻狩り(まきがり)などの伝承も残されています。当時の蛭ケ島は洪水の度に田方平野を縦横に流れていたであろう狩野川の中洲、あるいは湿田の中の微高地(びこうち)(田島)であったと考えられます。 他にも蛭ヶ小島と称する中州がある中で一番小さかったことから後年「蛭ヶ小島」と呼ばれるようになったものと思われます。 現在は、伊豆の国市の文化財に指定されています。 (伊豆の国市観光協会韮山観光案内センターHP引用)
蛭ヶ小島
周辺は公園として整備されている
富士を望んで立つ頼朝と政子の銅像
江戸時代の末に伊豆の地誌「豆州志稿」を著した秋山富南が、この場所を頼朝配流の地と考証したことを記念する「蛭島碑記」(市指定文化財)が立っています。
周辺の公園整備が進む中で平成16年3月18日、富士に向かって頼朝と政子が寄り添って立つブロンズ像「蛭ケ島の夫婦(ふたり)」が除幕されました。富士山を眺めながら、頼朝と政子のブロンズ像は、どんな話をしているのかな?
現地への行き方
- 交 通
- 韮山駅より 徒歩約10分
- 所在地
- 静岡県伊豆の国市四日町15
- お問合先
-
伊豆の国市観光商工課
電話:055-948-1480