源朝長墓(みなもとのともながはか)
区分:袋井市指定文化財 :静岡県袋井市
平治の乱で平清盛に敗れた源義朝の二男、源朝長をまつる首塚
源朝長は、平治の乱(1159年)で敗れた義朝(よしとも)の二男で頼朝の兄です。この乱で負傷した朝長は傷が悪化し、美濃青墓(大垣市:おおがきし)で自害しました。家来であった大谷忠太は、朝長の首を抱いて故郷に帰り、この地に埋葬したといわれています。曹洞宗の積雲院は、 源頼朝が兄の朝長を弔うために1185年に創建されました。境内には袋井市指定の史跡の源朝長墓があります。現地には、大垣市青墓から移植された楠(クス)の木が茂っています。 積雲院には、義朝、義平、朝長の石碑があり、毎年8月15日の夜には、市指定無形民俗文化財である朝長公の霊を弔(とむら)う御祭礼が開かれます。友永の地名は、朝長に由来するといわれています。 (日本観光協会ホームページ及び現地説明板参考)
源朝長墓
大垣から移植されたクスノキ
積雲院山門
朝長公の霊を弔う御祭礼は、市指定の無形民俗文化財です。訪ねてみませんか。