全国統一を成し遂げた秀吉は、1594年に全国同一基準の物差しと枡を使い、改めて検地を行った。検地帳には一つの土地を耕作するものを一人ずつ定め、土地の等級に応じた標準収穫高を決めて、確実に年貢の徴収を行った。これにより、荘園がなくなるとともに、農民は自由に居住地を移動することができなくなった。
また、1588年に刀狩令を出し、大仏殿の造営を口実にして、諸国の農民から刀・弓・槍・鉄砲などの武器を没収して一揆の防止を図るとともに、農業に専念させた。
このようにして、秀吉は農民の武器の所有、転業や移住を禁止して、武士や農民の身分をはっきりと分けた。 |