朝長(ともなが)
 袋井市三川(みつかわ)地区友永のお寺、積雲院(せきうんいん)には、源朝長のお墓がある。
 平治の乱に敗れた源義朝は、わずかの家来とともに、都を落ち、長男、義平(よしひら)・二男、朝長と再起(さいき)をはかろうとした。朝長は、敵の矢に()られた右足の傷が悪化し、歩くこともできなくなり、自害したと言われている。
 家来が、朝長の首を抱いて故郷にもどり、朝長をとむらった。
 その地は、殿ヶ谷(とのがや)と呼ばれ、友永の地名も昔は、朝長と書かれてい

たが、現在の友永に変わったという。